ラフォーレ原宿松山とは?閉館理由から跡地の現在まで歴史をたどる!

ラフォーレ原宿松山とは?閉館理由から跡地の現在まで歴史をたどる! ショッピング

ラフォーレ原宿松山について調べると、かつて松山市中心部に存在した若者向けファッションビルであり、現在は営業していないことが分かります。

正式名称は「ラフォーレ原宿・松山」で、1983年12月1日に開館し、2008年1月に約24年間の歴史を終えました。

東京のラフォーレ原宿の地方展開として誕生した施設で、大街道の入口という目立つ場所から、松山の若者文化やファッションを象徴する存在として長く親しまれていました。

閉館後は建物が解体され、跡地を含む再開発によって2015年に複合施設「AEL MATSUYAMA(アエル松山)」が開業しています。

ここではラフォーレ原宿松山がどのような施設だったのか、閉館理由や当時の店舗、跡地が現在どうなっているのかまで順番に振り返ります。

ラフォーレ原宿松山とは?

ラフォーレ原宿松山は、愛媛県松山市の中心商業地にかつて存在したファッションビルです。

東京・原宿で若者文化の発信地となったラフォーレ原宿の地方展開という性格を持ち、1980年代から2000年代にかけて松山市民、とりわけ若い世代に親しまれました。

単なる買い物施設というより、当時の松山で新しいファッションやカルチャーに触れられる場所だったことが、現在まで名前が検索され続ける理由の一つと考えられます。

1983年に開館

ラフォーレ原宿・松山が開館したのは1983年12月1日で、バブル経済へ向かう時代の中で若者向けファッションの存在感が急速に高まっていた時期でした。

東京の原宿が全国の若者から注目されるファッションの街になっていた時代に、その「ラフォーレ」の名称を掲げた施設が四国の松山に登場したことは、地方都市としては大きなインパクトがあったといえます。

東京まで出かけなくても都市型のファッションやブランドに触れられる場所ができたことから、松山市だけでなく周辺地域の若者を引き付ける施設へと成長していきました。

開館から閉館まで約24年間営業したため、10代や20代で利用していた人が現在では40代から60代前後となり、青春時代の思い出として語られることも珍しくありません。

大街道の入口に立地

ラフォーレ原宿・松山があったのは松山市中心部の大街道商店街北側で、路面電車の大街道電停にも近い非常に目立つ場所でした。

大街道は銀天街へと続く松山市を代表する中心商店街であり、百貨店や飲食店、ファッション店、映画館などへ向かう人々が集まるエリアとして長く発展してきました。

その入口付近にラフォーレ原宿・松山が存在したことで、施設そのものが大街道のランドマークのような役割を担い、買い物をしない人にとっても分かりやすい待ち合わせ場所になっていました。

松山市が後年の再開発について説明した際にも、この場所が中心市街地の「顔」といえる重要な場所であったことがうかがえます。

若者向けファッションの拠点

ラフォーレ原宿・松山の大きな特徴は、当時の松山における若者向けファッションの発信拠点として機能していたことです。

現在はインターネット通販やSNSを通じて全国どこからでも流行を知り、商品を購入できますが、1980年代から1990年代には実店舗のファッションビルがトレンドを知る重要な場所でした。

ラフォーレという東京・原宿を連想させるブランド力もあり、新しい洋服や雑貨を探したい若者にとって、大街道へ出かけた際に立ち寄る定番スポットの一つとなっていました。

森ビルも閉館発表の中で、同施設を四国エリアにおける若者向けファッショントレンドの発信基地として位置付けており、その役割は運営側からも明確に認識されていました。

東京のラフォーレ原宿との関係

ラフォーレ原宿松山という名前から、東京のラフォーレ原宿とは無関係の施設だと思う人もいるかもしれませんが、実際には森ビルグループによって運営されていたラフォーレブランドの施設でした。

ラフォーレ原宿は1978年に東京・原宿で開業し、若手ブランドや個性的なショップが集まるファッションビルとして、原宿文化を象徴する存在の一つになっています。

松山の施設はその地方展開として誕生したもので、東京で生まれたファッションビルのスタイルを地方都市へ持ち込んだ点に大きな特徴がありました。

そのため名称だけを借りた商業施設ではなく、松山にいながら「原宿」という都市文化を感じさせることそのものが施設の魅力になっていたと考えられます。

52店舗が営業

森ビルが2007年4月に公表した閉館発表によると、同年4月27日時点のラフォーレ原宿・松山には52店舗が入居していました。

店舗面積は1,185.21坪とされており、現在の巨大な郊外型ショッピングモールと比較するとコンパクトですが、ファッションを中心とする専門店を集約した都市型施設としては存在感のある規模でした。

建物内を回りながら複数のブランドやショップを見比べられることは、インターネット通販が一般化する以前の若者にとって大きな魅力でした。

現在も当時のテナントを知りたいという質問がインターネット上で見られることから、店舗そのものが利用者の記憶に強く残っていることが分かります。

年間売上は28.7億円

閉館発表時に森ビルが公表した資料では、ラフォーレ原宿・松山の2006年度の年間売上は28.7億円でした。

この数字だけを見て閉館直前の経営状態を単純に判断することはできませんが、少なくとも多数の専門店が営業する中心市街地の主要商業施設として一定の規模を持っていたことが分かります。

特に重要なのは、後述するように公式に示された閉館理由が単なる売上不振ではなく、建物の耐震性を踏まえた安全面の判断だったことです。

「人気がなくなったので閉店した」とだけ理解すると実際の経緯とは異なるため、閉館の背景は建物そのものの歴史と合わせて見る必要があります。

建物は1968年竣工

ラフォーレ原宿・松山として営業を開始したのは1983年ですが、建物自体が1983年に新築されたわけではありません。

森ビルが公表した資料によると、建物の最も古い第一期部分は1968年3月20日に竣工しており、ラフォーレ開業時点ですでに15年以上経過した建物でした。

1968年は現在の耐震基準とは異なる時代であり、その後長期間にわたって建物を利用する中で耐震性能が大きな問題になっていきます。

施設の閉館を理解するうえでは、ラフォーレとして約24年間営業したという歴史だけでなく、その前から存在していた建物だったという点が非常に重要です。

松山の青春を象徴

ラフォーレ原宿・松山が現在でも検索される理由は、施設としての情報を調べたい人だけでなく、かつて利用していた人が昔を懐かしんでいることにもあります。

地方都市では中心街へ出かけて服を選び、友人と飲食をし、街を歩くという行動そのものが若者の休日文化になっていた時代があり、ラフォーレはその目的地の一つでした。

「どんな店が入っていたのか」「何年に閉店したのか」「今は何になっているのか」といった疑問が年月を経ても残るのは、それだけ市民の日常や思い出に入り込んだ施設だったことを示しています。

特に1980年代から2000年代前半に松山で学生生活や若い時代を過ごした人にとって、ラフォーレという名称は単なる建物の名前以上の意味を持っているといえるでしょう。

ラフォーレ原宿松山が閉館した理由

ラフォーレ原宿・松山は2008年1月に閉館しましたが、公式発表で示された重要な理由は建物の耐震性能です。

商業施設の閉館というと売上不振や郊外型ショッピングセンターとの競争が真っ先に想像されやすいものの、森ビルは耐震診断を踏まえて営業を継続すべきではないと判断したと説明しています。

閉館前後には松山市の商業環境も変化していましたが、直接の閉館判断と周辺環境の変化は分けて理解すると経緯が分かりやすくなります。

耐震診断が契機

森ビルと森ビル流通システムは2007年4月27日、ラフォーレ原宿・松山を閉館すると正式に発表しました。

発表では建物が旧耐震設計に基づいており、耐震診断を行った結果、テナントや来館者の安全確保という観点から営業を継続すべきではないと判断したことが説明されています。

つまり閉館の中心的な理由として公式に示されているのは安全面であり、単純な販売不振だけを理由に閉館した施設ではありません。

  • 最古部分は1968年竣工
  • 旧耐震設計の建物
  • 耐震診断を実施
  • 利用者の安全を重視
  • 2007年に閉館を正式発表

旧耐震設計の建物

現在の耐震基準につながる新耐震設計法は1981年に導入されており、それ以前に建てられたラフォーレ原宿・松山の第一期部分は旧耐震基準時代の建物でした。

旧耐震基準の建物だから直ちに危険という意味ではありませんが、長期間利用する大型商業施設では耐震診断によって実際の性能を確認し、安全性を踏まえて改修や建て替えなどを判断することが重要です。

ラフォーレ原宿・松山の場合は診断結果を受け、営業を続けながら利用者を受け入れるのではなく、閉館して今後の建て替えなどを検討する方向が選ばれました。

項目 内容
建物最古部分 1968年竣工
設計時期 旧耐震基準の時代
閉館発表 2007年4月
主な判断材料 耐震診断
重視された点 テナント・来館者の安全
実際の閉館 2008年1月

商業環境も変化

公式な閉館理由は耐震性能ですが、2000年代の松山市では中心市街地と郊外の商業を取り巻く環境そのものも大きく変化していました。

自動車で利用しやすい大型商業施設が郊外へ広がる中、全国各地の地方都市では中心商店街が従来ほど圧倒的な買い物先ではなくなり、松山もその影響と無縁ではありませんでした。

ラフォーレ閉館後について、周辺商店の関係者から若者を中心とした通行量の減少を指摘する声が報じられたこともあり、同施設が大街道への集客装置として大きな役割を担っていたことが分かります。

なお、商業環境の変化を背景として考慮することはできますが、「郊外店に負けたから閉館した」と断定するのは公式な説明とは異なるため注意が必要です。

ラフォーレ原宿松山の店舗や当時の雰囲気

ラフォーレ原宿・松山を知る人が特に懐かしく感じるのが、館内に並んでいたファッションショップや当時ならではの雰囲気です。

閉館直前の2007年4月時点では52店舗が営業しており、若者が複数のショップを回りながら服や雑貨を探せる場所になっていました。

すべての時期で同じ店舗が営業していたわけではないため、昔のテナントについては利用した年代によって記憶が異なる点も押さえておきましょう。

ファッションが中心

ラフォーレ原宿というブランドの性格を反映し、松山でも若者向けファッションが施設の中心的な魅力となっていました。

個性的な洋服を扱うショップや当時人気を集めていたブランドに触れられ、大型総合スーパーや百貨店とは異なるファッションビルらしい店舗構成が支持されました。

過去の利用者がインターネット上で当時のテナントについて尋ねる例もあり、「スーラバ」など具体的なショップ名を記憶している人もいます。

  • 若者向けファッション
  • 個性的なブランド
  • 服飾雑貨
  • セレクト系ショップ
  • トレンド性の高い売り場

年代で店舗は変化

ラフォーレ原宿・松山は1983年から2008年まで約24年間営業したため、当然ながら開館当初と1990年代、2000年代ではテナント構成が異なります。

そのため「ラフォーレ原宿松山には何の店があったのか」という問いに対して、一つのテナント一覧だけで全期間を説明することはできません。

利用者の記憶にも年代差があり、学生時代に通った時期によって思い浮かべるブランドや売り場が異なるのも、長く営業した商業施設ならではの特徴です。

時期 見方
1980年代 開業初期の店舗構成
1990年代 若者ファッション全盛期
2000年代前半 ブランド構成も変化
2007年 52店舗が営業
2008年 施設全体が閉館

待ち合わせ場所として定着

ラフォーレ原宿・松山は買い物をするためだけの建物ではなく、大街道という立地から街へ出かける際の目印としても利用されていました。

携帯電話が現在ほど普及していない時代には、誰でも知っている建物の前を待ち合わせ場所に指定することが多く、大街道入口のラフォーレはその条件を満たしていました。

松山市も後年、跡地再開発を説明する中でラフォーレ周辺が待ち合わせにもよく利用されていた場所であることに触れており、街の生活動線の一部になっていたことが分かります。

商業施設そのものがなくなってから長い年月が過ぎても場所の記憶が残っているのは、こうした日常的な利用が積み重なっていたためでしょう。

ラフォーレ原宿松山の跡地は現在どうなった?

ラフォーレ原宿松山の場所を現在訪れても、かつての建物を見ることはできません。

閉館後しばらく建物が残ったのちに解体され、周辺敷地を含む再開発によって「AEL MATSUYAMA」が建設されました。

現在の大街道入口を見ると、ラフォーレ時代とは建物の規模も用途も大きく変化しており、商業だけではなくホテルなどを組み合わせた複合施設へ転換されています。

閉館から再開発まで

ラフォーレ原宿・松山は2008年1月に閉館しましたが、その直後に新しい建物が完成したわけではなく、跡地再開発には長い時間がかかりました。

森ビルは閉館時点から地権者や行政などと建て替えを含めた協議を進め、2009年度以降には優良建築物等整備事業として計画が進展し、2013年10月に旧建物の解体工事へ着手しています。

その後2014年に新しい建物の本体工事が始まり、2015年に現在のアエル松山が完成するという流れになりました。

  • 2008年1月:ラフォーレ閉館
  • 2009年度以降:再開発を推進
  • 2013年10月:旧建物を解体
  • 2014年:新施設を着工
  • 2015年7月:新施設竣工
  • 2015年8月:アエル松山開業

AEL MATSUYAMAが開業

跡地を中心とする再開発によって誕生したのが、地上13階建ての複合施設AEL MATSUYAMAです。

アエル松山は2015年8月26日にグランドオープンし、ラフォーレ原宿・松山が閉館してから約7年7カ月を経て、大街道入口に本格的な賑わいを生み出す新施設が戻ってきました。

ラフォーレが主に若者向けファッションを軸とする商業施設だったのに対し、アエル松山では物販や飲食だけでなく、ブライダルやホテルを取り入れることで中心街を訪れる幅広い人を対象とする施設へ変化しています。

項目 アエル松山
開業 2015年8月26日
階数 地上13階
延床面積 約11,000㎡
低層階 商業・ブライダル
上層階 ホテル
開発主体 森ビル

現在も大街道の重要拠点

アエル松山は大街道商店街の北側入口に位置しており、ラフォーレ時代から続く場所の重要性そのものは現在も変わっていません。

周辺には松山三越やロープウェー街、大街道電停などがあり、松山城や道後温泉方面へ向かう観光客も行き交うエリアになっています。

アエル松山の上層部にホテル機能が設けられたことで、かつて地元の若者を中心に集客していた場所が、現在では観光や宿泊を含めた幅広い人々を受け入れる都市拠点へ変化したと見ることができます。

建物の名称と姿は変わっても、大街道の入口で人を迎えるランドマークという役割はラフォーレからアエル松山へ受け継がれているといえるでしょう。

ラフォーレ原宿松山が松山の街に残したもの

ラフォーレ原宿・松山の歴史を振り返ると、一つのファッションビルが閉館したというだけでは説明できない存在だったことが見えてきます。

若者を中心街へ呼び込み、新しいファッションを伝え、大街道の入口で待ち合わせ場所にもなるなど、約24年にわたり松山市民の日常と街の賑わいを支えました。

閉館後の再開発まで含めて考えることで、地方都市の中心市街地が時代に応じてどのように役割を変えてきたのかも分かります。

大街道への集客力

ラフォーレ原宿・松山の存在は館内だけで完結するものではなく、周辺の大街道商店街にも人の流れを生み出していました。

ラフォーレを目当てに街へ出た人が周辺の飲食店や別のショップにも立ち寄れば、施設一つの集客が商店街全体へ波及することになります。

閉館後に周辺の通行客減少を指摘する声が出たことからも、大街道入口の集客施設として果たしていた役割の大きさがうかがえます。

  • 若者を中心街へ誘引
  • 周辺店舗への回遊を促進
  • 大街道入口の目印
  • 待ち合わせ場所として利用
  • ファッション情報を発信

地方都市で原宿文化を発信

インターネット以前の時代には、東京で流行している文化を地方に住みながらリアルタイムに体験することは現在ほど簡単ではありませんでした。

その中で「原宿」の名前を持つファッションビルが松山に存在したことは、新しいブランドやスタイルに興味を持つ若者にとって大きな意味がありました。

ラフォーレ原宿・松山は商品を販売するだけではなく、「松山にも都会的なファッションに触れられる場所がある」という感覚を生み出した施設だったと考えられます。

役割 ラフォーレがもたらしたもの
買い物 若者向けブランドとの接点
情報 新しいファッションの発信
交流 若者が集まる場所
街歩き 大街道への来街動機
記憶 青春時代を象徴する場所

アエル松山へ役割を継承

ラフォーレ原宿・松山の閉館からアエル松山の開業までは約7年半が空いており、その期間の長さは中心市街地における跡地再開発の難しさも示しています。

一方で森ビルは松山から完全撤退するのではなく、行政や地元関係者との協議を重ねながら同じエリアで再開発を行い、商業・ブライダル・ホテルからなる複合施設を誕生させました。

ラフォーレとアエルでは建物も対象客も異なりますが、大街道入口で新しい文化や人の流れを生み出そうとする役割には共通する部分があります。

その意味では、ラフォーレ原宿・松山の歴史は2008年の閉館だけで途切れたのではなく、現在の大街道の街づくりにもつながっていると見ることができます。

ラフォーレ原宿松山の記憶は現在の大街道にも続いている

ラフォーレ原宿松山の正式名称は「ラフォーレ原宿・松山」で、1983年12月1日に開館し、四国における若者向けファッションの発信拠点として約24年間営業しました。

2007年に森ビルが行った閉館発表では、1968年竣工の旧耐震設計による建物を耐震診断した結果、テナントや来館者の安全を考慮して営業を継続すべきではないと判断したことが理由として示されています。

その後2008年1月に閉館し、2013年の旧建物解体、2014年の新施設着工を経て、2015年8月には跡地を中心とする再開発施設AEL MATSUYAMAが開業しました。

かつてラフォーレで服を選んだ人や友人と待ち合わせをした人にとっては青春時代を思い出させる場所ですが、現在の大街道を訪れれば、その場所がホテルや商業施設を備えた新たなランドマークとして受け継がれていることを確認できます。

ラフォーレ原宿・松山そのものはなくなりましたが、若者を街へ呼び込み大街道の賑わいを生み出した歴史は、松山市中心部の商業や街づくりを振り返るうえで今も重要な記憶として残っています。