伊予松山城について調べると、松山城との違いや築城した人物、現在も残る天守の価値など、さまざまな情報が出てきます。
伊予松山城とは、愛媛県松山市の中心部にある現在の松山城を、ほかの地域にある同名の城と区別するために呼ぶ名称です。
標高132メートルの勝山を中心に築かれた大規模な平山城で、江戸時代以前に建てられた天守が残る「現存12天守」の一つとして知られています。
城郭そのものの迫力だけでなく、加藤嘉明から蒲生忠知、久松松平家へと続く歴史、複雑な防御施設、松山平野を一望できる景色まで楽しめるのが特徴です。
ここでは伊予松山城の基本情報から歴史、建築上の特徴、見どころ、登城方法、観光前に知っておきたいポイントまで詳しく紹介します。
伊予松山城を知る8つの基本ポイント
伊予松山城を理解するうえでは、名称だけでなく、場所や築城年代、城の形式、現在残っている建造物などをまとめて把握すると全体像が見えやすくなります。
現在の松山城は単に天守だけが残る城ではなく、本丸・二之丸・三之丸を含む広大な城郭として形成されてきました。
まずは観光や歴史学習の前提になる8つの基本ポイントから確認していきましょう。
現在の松山城を指す名称
伊予松山城という名称は、基本的に愛媛県松山市にある松山城を指しています。
公式名称として観光案内などで一般的に使われているのは「松山城」ですが、日本には松山城という名称を持つ城がほかにも存在するため、旧国名である伊予国を付けて伊予松山城と表現されることがあります。
特に城郭を専門的に紹介する資料や全国の城を比較するサイトでは、「備中松山城」などとの混同を避けるために伊予松山城という呼称が使われる傾向があります。
そのため、伊予松山城と松山城は別々の城という意味ではなく、愛媛県松山市の松山城をより明確に示した名称と理解して問題ありません。
- 一般的な名称:松山城
- 区別するときの名称:伊予松山城
- 旧国名:伊予国
- 所在地:愛媛県松山市
勝山に築かれた平山城
松山城の本丸は、松山市中心部にそびえる標高132メートルの勝山にあります。
山そのものを利用して防御力を高めながら、山麓部分にも二之丸や三之丸を配置していることから、城郭の分類では平山城に当たります。
現在の市街地から見上げると山城のようにも見えますが、独立丘陵とその周囲の平地を一体的に利用している点が松山城の大きな特徴です。
山頂から松山平野を広く見渡せるため、防御面でも城下町を統治するうえでも優れた場所だったことが分かります。
市街地のすぐ近くに巨大な城郭が残っているため、現代では松山市を象徴する景観の一つにもなっています。
築城開始は1602年
松山城の築城が始まったのは、関ヶ原の戦いから間もない慶長7年に当たる1602年です。
築城を始めたのは、豊臣秀吉に仕え、のちに関ヶ原の戦いで徳川方に加わった武将として知られる加藤嘉明でした。
嘉明は関ヶ原の戦い後に所領を加増され、新たな政治・軍事拠点として勝山に大規模な城を築くことを計画します。
山頂を造成して本丸を置くだけでなく、山腹や山麓まで含む巨大な城郭を整備する工事だったため、築城には非常に長い年月が必要でした。
松山城を訪れる際には、完成した天守だけを見るのではなく、勝山そのものを巨大な要塞へ造り替えた築城事業として見ると、城の規模をより実感できます。
完成まで約四半世紀
松山城は築城開始から完成まで約四半世紀もの期間を要したとされています。
築城を開始した加藤嘉明は完成を見る前の1627年に会津へ転封され、その後に松山へ入った蒲生忠知の時代に城郭が完成したと伝えられています。
つまり、松山城は一人の城主が短期間で築き上げた城ではなく、複数の城主の時代をまたいで形成された城です。
その後も松平定行の時代に天守などが改築され、さらに火災による焼失と再建を経験しているため、現在の姿には江戸時代を通じた長い変遷が反映されています。
築城年代だけを1602年と覚えるよりも、「加藤嘉明が開始し、蒲生忠知が完成させ、松平氏が整備した」と理解すると歴史が整理しやすくなります。
現存12天守の一つ
伊予松山城の大きな価値の一つが、江戸時代以前に建てられた天守が現在まで残る「現存12天守」に含まれていることです。
日本には数多くの城がありますが、現在見られる天守の中には近現代に鉄筋コンクリートや木造で復元されたものも多く、江戸時代までに築かれた天守が残っている城は全国で12城しかありません。
愛媛県には松山城のほかに宇和島城もあり、一つの県に現存天守が2城存在する非常に珍しい地域となっています。
松山城の現在の大天守は安政元年の1854年に落成したもので、幕末に完成した現存天守という点でも特徴的です。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 分類 | 現存12天守 |
| 現在の大天守 | 1854年落成 |
| 文化財 | 国指定重要文化財 |
| 愛媛県の現存天守 | 松山城・宇和島城 |
連立式天守を持つ
松山城の天守群は、大天守だけが単独で建っているのではなく、小天守や櫓、渡櫓などが結ばれた連立式天守となっています。
建物を四方に配置して通路となる櫓でつなぐことで中央に中庭のような空間が形成され、敵が内部へ侵入しても複数方向から迎撃できる構造になっています。
現存12天守の中で連立式天守の代表としてよく知られるのが姫路城ですが、松山城も同じ連立式の構成を現在に伝える貴重な城です。
天守内部を歩くと、単純に最上階へ上るだけではなく、複数の建物や廊下を移動する場面があるため、巨大な防御施設の内部に入り込んだ感覚を味わえます。
外側から天守群全体を眺めるだけでなく、本壇内部の建物同士のつながりを意識すると松山城の面白さがさらに深まります。
国指定史跡になっている
松山城では天守などの建築物だけでなく、城郭跡そのものにも高い文化財的価値があります。
本丸・二之丸・三之丸跡を中心とする松山城跡は1952年に国の史跡に指定されており、広範囲にわたる城郭遺構が保護されています。
本丸跡には大天守をはじめとする多数の歴史的建造物が残り、そのうち21棟が国の重要文化財に指定されています。
石垣や曲輪、門、櫓などを含めた城郭全体を見ることで、天守だけでは分からない松山城本来の規模を理解できます。
時間に余裕がある場合は山頂だけで観光を終えず、二之丸や堀之内まで歩いて城の高低差を体感するのがおすすめです。
別名は勝山城と金亀城
松山城には「勝山城」や「金亀城」という別名があります。
勝山城という名称は、城が築かれている山の名前である勝山に由来する分かりやすい呼び方です。
一方の金亀城は「きんきじょう」などと読まれ、松山城にまつわる別称として城郭資料や観光情報で目にすることがあります。
ただし、現在の観光案内や交通案内では基本的に松山城という名称が使われているため、旅行で訪れる場合に別名を覚えておく必要はありません。
| 名称 | 意味 |
|---|---|
| 松山城 | 一般的な名称 |
| 伊予松山城 | 同名の城との区別 |
| 勝山城 | 勝山に由来する別名 |
| 金亀城 | 松山城の別称 |
伊予松山城の歴史をたどると城の姿が見えてくる
伊予松山城は1602年の築城開始から現在まで、一度も同じ姿を保ち続けてきたわけではありません。
加藤嘉明、蒲生忠知、松平定行という主要な城主によって整備が進められ、天守は火災による焼失と再建も経験しています。
現在見られる城がどの時代につくられたものなのかを理解しておくと、観光中に見る建築物の意味が分かりやすくなります。
加藤嘉明
松山城の築城を始めた人物が加藤嘉明です。
嘉明は豊臣秀吉に仕え、賤ヶ岳の戦いなどで活躍した武将として知られ、関ヶ原の戦いでは徳川家康側に加わりました。
戦後に所領を加増された嘉明は、従来の居城から勝山へ本拠を移すことを決め、1602年から松山城の築城を開始します。
巨大な丘陵を加工して本丸を築き、二之丸や三之丸を配置する計画は大規模なもので、工事は長期間に及びました。
嘉明自身は1627年に会津へ転封されたため城の完成を見ることはできませんでしたが、松山城と城下町の基礎を築いた人物として現在も重要な存在です。
- 築城開始:1602年
- 築城地:勝山
- 石高:20万石
- 転封:1627年
- 転封先:会津
蒲生忠知
加藤嘉明が会津へ移った後、松山へ入ったのが蒲生忠知です。
忠知は蒲生氏郷の孫に当たり、出羽国上山から松山へ移封されました。
加藤嘉明の時代に完成していなかった城郭整備を引き継ぎ、松山城を完成させた人物とされています。
しかし忠知は1634年に急死し、男子の後継者がいなかったことから蒲生家は断絶することになりました。
松山を治めた期間は短かったものの、長年続いていた築城工事を完成へ導いた点で、松山城の歴史に欠かせない城主です。
松平定行
1635年に松山へ入封したのが松平定行で、その後は久松松平家が幕末まで松山藩を治めます。
定行は徳川家康の甥に当たる人物であり、松山藩は徳川将軍家とつながりの深い親藩として位置付けられました。
定行の時代には城の本壇が整備され、三重の連立式天守が築かれたと伝えられています。
その後の松山城は久松松平家の居城として長期間利用され、城下町としての松山も発展していきました。
| 時期 | 主な城主 | 主な出来事 |
|---|---|---|
| 1602年 | 加藤嘉明 | 築城開始 |
| 1627年 | 蒲生忠知 | 松山へ入封 |
| 1635年 | 松平定行 | 松山へ入封 |
| 江戸後期 | 久松松平家 | 天守再建 |
現在の天守は江戸後期に再建された貴重な建築
松山城の天守を見ると築城開始時からそのまま残っているように感じますが、現在の大天守は江戸時代後期に再建されたものです。
落雷による焼失後、長い年月をかけて再建され、幕末の1854年に完成しました。
現存天守という言葉の意味と建築構造を知ってから訪れると、城内の柱や階段、狭間など一つ一つの見え方が変わります。
天守の焼失
松山城の天守は江戸時代を通して完全な状態で残り続けたわけではありません。
松平定行の時代に整備された天守は1784年の元日に落雷によって焼失し、松山城は城の象徴となる建物を失いました。
すぐに現在の天守が完成したわけではなく、本格的な再建工事が始まったのは1820年で、そこから長い年月を要しています。
現在残る大天守が1854年に完成していることを考えると、松山城は日本の封建社会が終わるわずか十数年前に大規模な天守を完成させたことになります。
幕末という比較的新しい時代の天守でありながら、江戸時代の城郭建築を現在まで伝えていることが松山城の大きな価値です。
連立式の本壇
松山城の本壇は、大天守、小天守、櫓、門、渡櫓などを組み合わせた複雑な構成になっています。
連立式天守では複数の建築物が互いにつながり、中央部分に中庭を形成することで、敵が攻め込んでも容易に天守へ到達できないよう工夫されています。
城内では急な階段や狭い通路を何度も通るため、現代の観光施設とは大きく異なる構造であることを実感できます。
外観の美しさだけを見るのではなく、門を突破した敵をどの方向から攻撃できるかを想像しながら歩くと、建物の配置に意味があることが分かります。
- 大天守
- 小天守
- 南隅櫓
- 北隅櫓
- 十間廊下
- 各種渡櫓
重要文化財
松山城では大天守をはじめ、本丸に残る21棟の建造物が国の重要文化財に指定されています。
現存天守だけに注目されがちですが、松山城では門や櫓を含む複数の歴史建造物をまとまった状態で見られることに大きな価値があります。
一方で、城内にあるすべての建築物が江戸時代から現存しているわけではなく、火災や戦災などで失われた後に復元された建築物もあります。
現存建造物と復元建造物の両方を組み合わせながら城郭全体の姿が整備されているため、案内表示を確認しながら歩くとより理解が深まります。
| 見るポイント | 特徴 |
|---|---|
| 大天守 | 現存天守 |
| 本壇 | 連立式構造 |
| 重要文化財 | 21棟 |
| 城跡 | 国指定史跡 |
伊予松山城で見逃せない見どころは天守だけではない
松山城観光では天守を目指して山頂へ向かう人が多いものの、城の魅力は天守だけではありません。
高石垣や巧妙に配置された門、全国的にも珍しい登り石垣など、城郭防御を理解できる遺構が各所に残っています。
本丸までの道そのものを一つの見学コースとして楽しむと、松山城が巨大な軍事施設だったことを実感できます。
戸無門から本丸
松山城へ登城して本丸を目指すと、複数の門を通過しながら少しずつ城の中心部へ近づいていく構造を体験できます。
一見すると天守へ続く普通の通路に見える場所でも、直線的に進めないよう進行方向を変えたり、上から攻撃しやすい位置に櫓や石垣を配置したりする工夫があります。
代表的な戸無門や筒井門周辺では、攻城側が簡単に本丸へ進めない複雑な防御構造を間近で確認できます。
天守を写真に撮るだけでなく、門の前後で振り返って建物や石垣の位置を見ると、防御の考え方が理解しやすくなります。
本丸まで歩く時間も松山城観光の一部と考え、急いで通り過ぎないのがおすすめです。
登り石垣
松山城を代表する珍しい遺構として知られているのが登り石垣です。
一般的な城の石垣は曲輪の周囲を水平に囲むようにつくられますが、登り石垣は山の斜面を縦方向に上っていくようにつくられています。
山腹から敵が侵入することを防ぐための施設で、豊臣秀吉による朝鮮出兵の際に築かれた倭城で使用された防御技術との関連が指摘されています。
国内の城では非常に珍しく、現存12天守を持つ城の中でも松山城の個性を示す重要な見どころです。
- 山の斜面を縦に伸びる
- 山腹からの侵入を防ぐ
- 全国的にも珍しい遺構
- 県庁裏登城道から見やすい
天守最上階の眺望
天守最上階へ上ると、標高132メートルの勝山に天守の高さが加わるため、松山市街を広範囲に見渡せます。
市街地を取り囲む松山平野だけでなく、天候や視界の状態によっては瀬戸内海方面や周囲の山々まで眺めることができます。
城主の視点に近い高さから城下町を見ることで、なぜ勝山が築城地として選ばれたのかも感覚的に理解できます。
本丸広場からも十分に景色を楽しめますが、天守最上階では360度に近い方向へ視界が開けるため、時間があれば内部観覧まで行う価値があります。
| 場所 | 楽しみ方 |
|---|---|
| 本丸広場 | 天守全体を撮影 |
| 天守最上階 | 松山平野を展望 |
| 石垣周辺 | 築城技術を観察 |
| 登城道 | 防御構造を体験 |
伊予松山城を観光するなら登城方法を先に決めておく
松山城の本丸は山頂にあるため、麓から天守の入口まで短時間で直接移動できるわけではありません。
最も一般的なのはロープウェイまたはリフトを利用する方法ですが、徒歩で登る複数の登城道も整備されています。
体力や観光時間、見たい遺構に合わせて登城方法を選ぶと、無理なく松山城を楽しめます。
ロープウェイ
初めて松山城を訪れる人に利用しやすいのが、東雲口駅舎から山頂付近まで移動するロープウェイです。
ロープウェイは山頂の長者ヶ平まで運行しており、そこから天守までは徒歩で約10分かかります。
つまりロープウェイを降りた場所がそのまま天守入口ではないため、石垣や坂道を歩く時間も予定に入れておく必要があります。
ロープウェイは天候の影響を比較的受けにくく、小さな子ども連れや高所を開放的なリフトで移動するのが苦手な人にも選びやすい方法です。
運行時間や料金は変更される可能性があるため、旅行当日は現地の案内を確認すると安心です。
- 乗り場:東雲口駅舎
- 到着:長者ヶ平
- 天守まで:約10分
- 運行:おおむね10分間隔
リフト
ロープウェイと並んで人気があるのが、一人乗りの椅子に座って山を上るリフトです。
周囲が開放されているため、風や景色を感じながら移動でき、単なる交通手段ではなく松山城観光の体験そのものとして楽しめます。
ロープウェイとリフトは共通乗車券になっているため、条件が合えば上りと下りで別々の乗り物を利用する楽しみ方もできます。
ただしリフトには年齢条件があり、雨天時には運休するため、子ども連れや天候の悪い日はロープウェイを中心に考えるのが現実的です。
高所が苦手な場合も無理にリフトを利用する必要はなく、同じ方面へ移動できるロープウェイを選べます。
徒歩
松山城には徒歩で登る登城道が複数あり、城好きならロープウェイを使わず歩いて登る方法もおすすめです。
代表的な東雲口登城道や県庁裏登城道では、本丸へ向かうまでの地形や石垣をじっくり観察できます。
一般的な東雲口登城道や県庁裏登城道では麓から本丸付近まで約30分が一つの目安となり、古町口登城道では天守まで約40分が目安です。
ただし坂道や石段があるため、観光時間だけでなく体力や靴にも余裕を持って利用する必要があります。
| 登城方法 | 特徴 | 向いている人 |
|---|---|---|
| ロープウェイ | 移動が楽 | 初めての観光 |
| リフト | 開放感がある | 景色も楽しみたい人 |
| 東雲口登城道 | 比較的歩きやすい | 徒歩で登りたい人 |
| 県庁裏登城道 | 登り石垣を見やすい | 城郭好き |
| 古町口登城道 | 石段が多い | じっくり歩きたい人 |
松山城観光で知っておきたい時間・料金・アクセス
松山城は松山市街の中心部に位置しているため、松山観光の中では比較的組み込みやすいスポットです。
一方で山頂へ移動する時間や天守内部を見学する時間が必要なので、滞在時間を短く見積もりすぎると慌ただしくなります。
営業時間や料金は変更される場合があるものの、2026年9月時点の公式案内を基準に基本的な情報を整理します。
観覧時間
2026年9月時点の案内では、松山城天守の基本営業時間は9時から17時までです。
8月は17時30分まで、12月から1月は16時30分までとなっており、季節によって終了時間が異なります。
天守への入場は営業終了時刻の30分前までとなるため、閉館直前に山麓へ到着しても天守を見学できない可能性があります。
東雲口駅舎から天守のきっぷ売り場まで移動するだけでも時間が必要なので、少なくとも営業終了の1時間程度前には駅舎周辺へ到着するつもりで動くのが安全です。
- 通常:9時~17時
- 8月:9時~17時30分
- 12月~1月:9時~16時30分
- 最終入場:終了30分前
天守観覧料
2026年9月時点では、本丸広場へ入るだけであれば無料ですが、天守内部を観覧する場合には料金が必要です。
天守観覧料は大人520円、小学生160円となっています。
そのため、天守へ入らず本丸広場から外観や市街地の景色を楽しむだけという観光方法も可能です。
ただし松山城が現存12天守の一つであることを考えると、初めて訪れるのであれば内部まで見学することで歴史的な建築構造をより深く体感できます。
| 項目 | 料金 |
|---|---|
| 本丸広場 | 無料 |
| 天守・大人 | 520円 |
| 天守・小学生 | 160円 |
所要時間
松山城をどこまで見るかによって所要時間は大きく変わりますが、本丸と天守を中心に観光する場合でも1時間から1時間30分程度を見ておくと余裕があります。
東雲口駅舎で乗車券を購入し、ロープウェイなどで長者ヶ平へ移動してから天守まで歩く時間が必要で、天守内部でも複数の建物や急な階段を通ります。
石垣や門をじっくり撮影したり、最上階から景色を楽しんだりする場合は2時間程度確保しても長すぎることはありません。
さらに二之丸史跡庭園や三之丸の堀之内地区まで見るのであれば、松山城一帯だけで半日近く使う観光プランも考えられます。
道後温泉や大街道などと同じ日に回る場合は、松山城を単なる30分程度の立ち寄りスポットとして考えないことがポイントです。
伊予松山城を深く楽しむなら城下まで歩いてみる
松山城の歴史をより深く感じたい場合は、本丸と天守だけで観光を終えず、二之丸や三之丸まで含めて歩いてみるのがおすすめです。
山頂と山麓を行き来すると、高低差を利用して防御区域を何重にも構成した平山城の特徴がよく分かります。
現代の松山市街と江戸時代の城郭を重ねながら歩けることも、伊予松山城ならではの楽しみ方です。
二之丸
本丸の西南側の山腹には二之丸が置かれ、藩政を行ううえで重要な施設が存在していました。
現在は二之丸史跡庭園として整備されており、かつて存在した御殿の間取りを水や砂利などを利用して表現した独特の景観を楽しめます。
天守中心の観光とは雰囲気が大きく異なり、戦いのための城だけでなく藩主の生活や政治の場としての松山城を想像しやすい場所です。
黒門口方面から本丸へ向かうルートと組み合わせれば、山麓から山頂へ城郭の階層をたどるように観光できます。
- 位置:勝山西南側
- 現在:史跡庭園
- 見どころ:御殿跡
- 本丸との高低差あり
三之丸
勝山の麓に広がる区域が三之丸で、現在の城山公園堀之内地区に当たります。
江戸時代には御殿や藩の重要施設などが置かれ、城郭の外周には堀が設けられていました。
現在は広々とした公園空間として利用されているため、山頂の本丸とはまったく異なる印象を受けます。
しかし勝山を見上げながら周囲を歩くと、山頂の本丸、山腹の二之丸、麓の三之丸が立体的につながって一つの巨大な城郭を形成していたことを理解できます。
天守だけを松山城と考えるのではなく、城山全体を一つの史跡として見ることが重要です。
城下町
巨大な松山城が築かれると、その周囲には武家屋敷や町人地などを含む城下町が形成され、現在の松山市中心部へつながる都市構造が発展していきました。
松山という地名そのものも城と深く関係しており、城郭の成立は現代の松山市の原型を考えるうえでも重要です。
現在は大街道や県庁周辺など都市化した場所が多いものの、城山を基準に周囲を歩くと、松山城が現在でも市街地の中心的な存在であることが分かります。
道後温泉だけを目的に松山を訪れる場合でも、市街地の成り立ちまで理解するなら松山城を組み合わせる価値があります。
| 区域 | 位置 | 現在の主な見どころ |
|---|---|---|
| 本丸 | 山頂 | 天守・櫓・石垣 |
| 二之丸 | 山腹 | 二之丸史跡庭園 |
| 三之丸 | 山麓 | 堀之内・城山公園 |
伊予松山城と備中松山城はまったく別の城
「松山城」と検索した際に混乱しやすいのが、愛媛県の松山城と岡山県の備中松山城です。
どちらも現存12天守に含まれているため、城について調べ始めたばかりの人ほど名称を取り違えやすくなります。
伊予松山城という呼び方が使われる理由の一つも、このような同名の城を明確に区別するためです。
所在地の違い
伊予松山城は愛媛県松山市にあり、旧国名では伊予国に当たります。
一方、備中松山城は岡山県高梁市にあり、旧国名では備中国に当たるため、所在地はまったく異なります。
旅行情報を検索するときに「松山城」とだけ入力すると両方の情報が表示される場合があるので、愛媛県を訪れる場合は「松山城 愛媛」や「伊予松山城」で調べると分かりやすくなります。
逆に天空の城として知られる岡山県の山城を探している場合は「備中松山城」と検索する必要があります。
- 伊予松山城:愛媛県松山市
- 備中松山城:岡山県高梁市
- どちらも現存12天守
- 所在地も城郭構造も異なる
城の立地の違い
伊予松山城は標高132メートルの勝山を中心に築かれた平山城で、現在は松山市中心部の都市景観と一体になっています。
一方の備中松山城はより標高の高い山上に主要な城郭が築かれた山城であり、現存天守が残る山城として知られています。
名前だけを見ると似ていますが、実際に訪れた際の景観や登城体験は大きく異なります。
市街地観光と組み合わせやすくロープウェイなども利用できる伊予松山城に対し、備中松山城は山城らしい地形そのものが大きな魅力です。
現存12天守という共通点
伊予松山城と備中松山城には、どちらにも江戸時代以前から残る天守があり、現存12天守に選ばれているという非常に大きな共通点があります。
そのため「松山城が現存12天守」と書かれているだけでは、文脈によってどちらを意味するのか分かりにくい場合があります。
さらに愛媛県には宇和島城もあるため、四国の現存天守を巡る旅行では松山城と宇和島城を組み合わせる楽しみ方もできます。
城名だけで判断せず、旧国名や所在地を合わせて確認する習慣を付けると混同しにくくなります。
| 項目 | 伊予松山城 | 備中松山城 |
|---|---|---|
| 所在地 | 愛媛県松山市 | 岡山県高梁市 |
| 旧国名 | 伊予国 | 備中国 |
| 分類 | 平山城 | 山城 |
| 天守 | 現存 | 現存 |
| 現存12天守 | 該当 | 該当 |
伊予松山城は松山の歴史と城郭建築を一度に楽しめる名城
伊予松山城とは、現在の愛媛県松山市にある松山城を、ほかの同名城と区別して呼ぶ名称です。
1602年に加藤嘉明が勝山で築城を開始し、蒲生忠知の時代に城郭が完成したとされ、その後は久松松平家の居城として幕末まで松山藩の中心となりました。
現在の大天守は1854年に完成した現存天守で、全国に12城しかない現存12天守の一つとして国の重要文化財に指定されています。
さらに連立式天守、登り石垣、複雑な門や櫓、高石垣、本丸からの眺望など見どころが多く、建物を見るだけでなく城郭の防御構造まで体験できるのが魅力です。
初めて訪れる場合はロープウェイやリフトを利用して本丸と天守を中心に回り、時間に余裕があれば二之丸史跡庭園や三之丸の堀之内地区まで足を延ばすと、伊予松山城が持つ本来の規模と松山の歴史をより深く感じられるでしょう。
